NICO STOPでもおなじみの人気フォトグラファー、嵐田大志さん(@Taishi_Arashida)。家族写真やミニマル写真など、日常を独自の視点・スタイルで切り取る写真がとても魅力的です。今回は、生活の一部として日々写真を楽しむ嵐田さんのフォトライフについてお聞きしてきました。
そして、嵐田さんご家族を撮影するのは、嵐田さんと親交の深い酒井貴弘さん(@sakaitakahiro_)。酒井さんが写し取るファミリー写真にも注目です!
嵐田大志さん
- 機材:デジタルカメラ
- 作風:家族写真、都市光景・ミニマル写真
- カメラをやっていた5年間、写真をやってきた5年間
- スマホではなく、カメラで日々を撮る意味
- 家族に、作られた思い出を植えつけたくない
- SNSはアルバムであり、新たな写真と出会える場
- 写真との出会いで、今まで視界に入らなかった透明なものが見えるように
カメラをやっていた5年間、写真をやってきた5年間
―写真を撮りはじめたのはいつ頃からですか?
嵐田:カメラを買ったのは今から約10年前で、一眼レフを買いました。ただ、買ったもののそこまで撮ってはいなくて、ちゃんと撮ろうと思ったのは子供が生まれるときでした。それから本格的にカメラの使い方を覚えていくために、HOW TO本はすごく読みましたね。ストロボなどを使っていた時期もありましたし、シャッタースピードをいくらに固定してとか、テクニック的なことがすごく好きだったんです。
―その頃から、今のような作風だったんですか?
嵐田:いえ、今のスタイルに変わったのは5年前からです。途中からテクニックを追うことに興味がなくなって…。「こういう機能でこんな写真が撮れる」ということは、ないがしろにしてはいけないと思うんですが、 テクニックよりもどんな表情か、どんなシーンかという“何を撮るか”が大事になってきました。
「カメラ好き」から「写真好き」に移っていくプロセスで、その変化が起きるんじゃないかなと思います。僕は、それに気づくのに時間がかかりましたけど…。「写真をはじめた」という感覚があるのはこの5年くらいで、それまでの5年間は「カメラをやっていた5年」ですね。
9年前に撮影した写真。左側のオレンジに輝く街並みと右側の青く輝く稲妻の対比を、超広角レンズ&長時間露出で狙いました。
1年前に撮影。双子に小さな妹ができて、2人で慣れないながら抱っこしているところが気に入っています。旅の思い出をちゃんと残したいので、まわりの状況が分かるように「引き」で撮っているのもポイントです。
嵐田:1枚目は「カメラをやっていた5年」に撮った写真ですが、あらためて見ると「撮ること自体が目的化した写真」で、2枚目のような自分が今大事にしている「思い出を残す写真」とはまったく異なるベクトルだなと思います。
―考えた方のシフトが、今のスタイルを作っているんですね。写真に対する考え方が変わると、カメラに求めることも変わってきませんか?
嵐田:以前はF値やシャッタースピード、ISO感度などを自分で設定するマニュアルでも撮っていましたが、今は設定にまったく関心がなくなりました。
それよりも、撮りたいと思ったときにすぐシャッターが切れることを何より重視しています。なので、スナップではプログラムオート、子供を撮るときなど背景をぼかしたいときは絞り優先オートで開放F値に固定しっぱなしです。
ニューヨーク旅行に行ったときにプログラムオートで撮影。赤ちゃんを抱っこしている状況だったので、なおさらオート撮影が威力を発揮しました。
嵐田:それと、子供が小さかったときには割とゆったり撮れたんですが、今は走りまわるので写真を撮るのはもはやスポーツ感覚ですよ(笑)
嵐田:子供を追いかけながら片手で撮ったりするので、カメラは軽さも大事だと思うようになりました。なので、今はミラーレスカメラが主戦力です。それに、赤ちゃんがいるときはネックストラップだと気づかずにぶつかったりしちゃうので、ハンドストラップを使っています。家族の状況や誰と一緒に出かけるかによっても、機材に求めるものや持ち物が変わりますよね。
スマホではなく、カメラで日々を撮る意味
―お子さんと一緒のときはスマホのほうがより気軽に撮れると思いますが、それでもカメラで撮ることの意味はどんなところにあるのでしょうか?
嵐田:スマホでももちろん撮っていますし、それなりにきれいに撮れるんですけど、どこまでいってもスマホはスマホなんですよ。「スマホでこれだけ撮れた」という喜びがある一方で、「カメラで撮りたかった」という後悔が残ってしまうんです。
なので、家の中ではすぐ撮れるように近くにカメラを置いておきますし、外出時もカメラを持ち歩きます。遊びに行くときやスーパーの行き来、通勤時にも。どこにおもしろいものがあるかわからないので、カメラで撮れなかったことを後悔しないために!
公園の帰り道、わずかな残照と街灯の組み合わせに惹かれました。子供たちと妻がおそろいのボーダーシャツを着ていること、次男だけが妻と手をつないでいるバランスも好きです。
―スマホとカメラとでは、写真としてどういうところが違うと思いますか?
嵐田:科学的に比較したわけではないですが、色の深みや階調、被写界深度や解像感などすべてが異なると感じます。特に色の深みですね。絵の具で例えると、スマホが24色だとしたら、フルサイズのカメラは100色以上の絵の具を使っているイメージです。
水滴まで細かく丁寧に描き切っている点と、波の白い部分から色の濃い部分までのトーンがジャンプすることなくつながっているのが、ミラーレスの中でもさすがフルサイズだと感じました。こういう写真は、スマホではモヤモヤした雰囲気になりがちです。
高感度でもノイズが少なく、速いシャッタースピードも切れるのでブレがありません。こういったスナップにはやはりフルサイズのカメラだと思います。
嵐田:気持ちの面でも違います。カメラに求めるものは「撮ってる感」でもあって、まずファインダーとシャッターボタンがあって、シャッターを切ったときにシャッター音が鳴り、シャッター機構が駆動する感触があること。それが自分の中で気持ち的にとても大事なことで、スマホの疑似的な音では撮っている満足度が低いんです。
―スマホとカメラとでは、確実な差があるんですね!
家族に、作られた思い出を植えつけたくない
―日々、カメラで家族を撮るときに気をつけていることはありますか?
嵐田:「作られた思い出を植えつけたくない」というのが僕のポリシーで、ポージングやセッティングなどはせずに、子供たちのありのままの姿を撮るようにしています。
意外と僕らって、思い出を忘れるんですよね。自分自身がそうであったように、写真を見返すことで記憶が定着するので、世界観を作りこんだ写真によって「偽の記憶」を植えつけたくないと思っています。例えば、子供がドライフラワーを持って海に佇むとSNS的には映えると思うんですが、子供たちが自発的にそのような行動をするわけはないので、やらせたくないんです。
―それは素敵なお考えですね!
嵐田:それに、子供たちは僕の言うことを聞いていなくて、「待って」と言っても止まらないですし、走ってどこかに行っちゃうので、シーンを作りこむのはそもそも無理な話なんです。ポージングなどを決めなくても、子供っていつもおもしろいことばかりしているので、絶え間なく撮っているというのが本当のところ。撮っていないときは自分の体力が尽きているときですね(笑)
―今日一緒にいて感じたのは、お子さんたちが撮られることにまったく抵抗がないということです。カメラに抵抗なく、むしろ興味を持たせる秘訣ってあるんでしょうか?
嵐田:生まれたときからずっとカメラがそばにあるので、当たり前の存在なんだと思います。それに、僕がすすめたわけじゃないですけど、カメラが好きなんですよ。男の子なんで、おもちゃ感覚で興味があるんでしょうね。
嵐田さんのお子さんが撮影した写真
自分が目指す「まっすぐな写真」を撮っていると感じます。突き詰めると「心惹かれたから撮る」だけでいいと思うんです。それが子供にはあるので、自分としても勉強になりますね。
―ところで、奥さんも写真が好きなんですか?
嵐田:昔は全然撮らなかったのですが、ここ1年くらいで撮るようになりました。僕は今デジタルメインなんですけど、昔使っていたフィルムカメラを妻が使って撮っています。家族写真を撮っている人のあるあるだと思いますが、自分が写っている写真が少ないという問題があって、妻が撮ってくれるのですごく助かります。それに、撮るのが父親か母親かで、間のとり方や撮っている瞬間が違っていて、勉強になりますよ。
嵐田:上の写真は同じときに撮ったものなんですが、子供が遊んでいる動的な写真を撮っている自分に対して、眠っている静的な写真を撮っているのが、母親ならではの“そっと見守るような視線”だと感じました。
奥さんが撮影
嵐田:この写真は、子供同士のコミュニケーションや、お兄ちゃんならではのやさしさが垣間見えた瞬間をうまくとらえています。ずっと子供たちと向き合っている妻ならではの距離感だと思いますね。妻はもともと写真にさほど関心がなかったのですが、フィルムで撮るようになってから、フィルム写真の現像から戻ってくるワクワク感や温かい色合いに魅了されているようです。
―今やご家族の生活に、写真が溶けこんでいるんですね!
SNSはアルバムであり、新たな写真と出会える場
―家族写真やミニマル写真など、SNSでいつも楽しく拝見していますが、SNSにはどれくらいの頻度で写真を投稿されているんですか?
嵐田:ほぼ毎日投稿していますね。Instagramが3年前、Twitterは1年半前からで、その前はmixiやFlickrなどもやっていました。当時から家族写真を投稿していて、アルバム的な意味を持っています。それに、「自分も子供の写真を撮りたいと思っています」というコメントやメッセージをもらえるのが楽しいですね。
スマホやSNSの影響で、写真人口はすごく広がりを持ってきていると思いますが、その中でカメラを買って撮るようになった人や、僕の影響ではじめたという話を聞くとすごくうれしいです!
―嵐田さんのTwitterは、添えられたメッセージも素敵ですよね!
写真って撮った本人は写っていないけど、今まで見てきたことや経験してきたこと、旅してきた場所、観てきた映画、聴いてきた音楽、食べてきた料理など、その人を形作る全てが写ってる
— Taishi Arashida (@Taishi_Arashida) 2019年10月16日
僕はいつもセルフポートレートだと思っている pic.twitter.com/NGyrBQlJty
嵐田:思ったことを書いているだけなんですよ。自分は写真にタイトルをつけないのですが、写真のバックグラウンドを補強する言葉があると、よりおもしろみを持つと思っています。絵が好きでよく美術館に行くんですが、絵の時代背景が書いてあるとより楽しめるんですよ。例えば、ピカソの絵はそれだけ見てもよくわからないけど、こういう背景で描きはじめた…ということがわかるとすごくおもしろいですよね。言葉で補うことは、自分にとって写真には必要なことかなと思います。
―確かに言葉があると、写真の見え方が変わるかもしれませんね! SNSの写真について、見る側としてはいかがですか?
嵐田:いろんな人の写真をめちゃくちゃ見てます! 人の写真を見ては「いいな」って、すぐ影響を受けちゃうんで(笑) 最近は、モノクロいいなーと思いますね。もともと植田正治さんが好きで、砂丘シリーズのモノクロ写真が好きなんですが、ずっとあんな写真を撮りたいと思っています。SNSではモノクロの文化があまりない印象なので投稿はしていませんが、SNSのために写真を撮っているわけではないので、モノクロ写真も継続して撮っていきたいですね。
嵐田:自分の写真は、色合いを重要視していることもあって95%はカラーですが、光と影や物の形などを純粋に見たいときにモノクロで撮っています。また、モノクロは家に飾っても他のインテリアとケンカしないので、写真をプリントする場合は割とモノクロが多いです!
―モノクロ写真、素敵ですね! SNSの投稿や、こういったモノクロ写真など、写真を撮るモチベーションを維持する秘訣ってありますか?
嵐田:写真を撮り続けていると、おそらくみなさん直面する壁だと思いますが、撮る気分じゃないときは撮らないことです。そういうときはアウトプットしないで、インプットすることですね。例えば写真集、特にクラシックな写真集を見るのがオススメです。
僕は1970年代のニューカラーの世代、ウィリアム・エグルストンやスティーブン・ショアなどの写真が好きでよく見ています。やはり、スマホで眺めるSNSの写真とは意味合いが違って、世界観や時代背景としっかり向き合うことも写真の楽しさだと思いますね。写真以外にも、美術館に行ったり、音楽を聴いたり、映画を観たりです。映画では「この構図いいな」とか、「色味がいいな」と思うときもありますし。とにかく、無理やり撮ることはオススメしません。撮らないときはゼロでいいんです。
写真との出会いで、今まで視界に入らなかった透明なものが見えるように
―生活に溶けこむように写真を楽しむ嵐田さんですが、写真と出会ってどのように生活が変わったと思いますか?
嵐田:世の中の変化に敏感になりました。四季や光、風など。それに、今まで見えなかった透明だったものが、見えるようになったと思います。例えば道端の石ころなど、気にしなければ転がっていても目に入りませんが、写真を撮るようになってそういったものが見えるようになったんです。人生が2倍お得になったと思いますね!
―見える世界が広がっていくんですね!
展望台から人々が青空と景色を眺めている様子と、まるで平和を象徴するかのような雲の形が美しいと感じてシャッターを切りました。特に主役の被写体があるわけではありませんが、画面全体で平和な空気感が漂っているのが好きなところです。
嵐田:それに、写真を撮っていなかった頃に「何かわからないけどきれい」と感じていたことが、写真を撮るようになって何のどこがどうきれいなのか、具体的に理解できるようになってきたと思います。写真を撮っていなければ、見上げて上の写真のような光景を目にすることもなかったかもしれません。
―家族に関して、写真を撮るようになって感じたことはありますか?
嵐田:子供たちは永遠にそばにいるように感じますが、それはまやかしで、あっというまに成長して巣立っていくと思います。ずっと一緒にいると「撮るのは明日でもいいや」と思いがちですが、常に成長しているので、昨日と今日ではちょっとずつ違う。だからこそ、日々を撮っていきたいんです。
―お子さんが巣立った後はどういう写真を撮っていきたいですか?
嵐田:それは常に考えていて。もちろん成人するまでは最低限撮ると思いますが、もう一つ自分の中にある軸の「都市光景」を撮っていきたいと考えています。東京の街を撮っていて感じるのは、変化が激しいこと。新しいビルができたり半年でも大きく変わる…まるで生き物です。子供の成長と同じで、街も成長したり変わっている。それを、ミニマル写真も含めて自分なりの撮り方で残していきたいと思っています。
上の写真は「渋谷スクランブルスクエア」が突然姿を現して、驚いて撮ったものです。他のビルと比べて一段と明るくて「景色が変わった!街も生き物だ!」と感じました。
この写真には大きな変化はありませんが、日々空模様が異なっていて、この日の雲や夕空のグラデーションに惹かれて撮りました。
―最後に、嵐田さんの“写真を撮り続ける理由”を教えてください。
嵐田:写真を撮ることは誰のためでもなく、自分のためにやっていることなんです。大げさな言い方をすると、「自分が生きた証」。その時々に焼き付いた自分の視界が写真として残るので、人生の記憶としてリアルタイムで走馬灯を作っている感覚です。子供のために撮っているようで、めちゃくちゃ自分のために撮っているんですよ。もちろん、子供も後から見返せるっていうこともあるんですが。
嵐田:そういう意味でも「何を撮る、撮らない」という線引きが大事だと考えています。枚数を撮るよりも、心がときめいたり、ざわつきを覚えたときだけ撮ること。フィルムのように残数が減るわけではないのですが、自分の中で無駄にシャッターを切ること=魂が削られている気がするんです。
その考え方になってからというもの、シャッターを切ることの重みが増してきました。だからこそ「こんな写真撮ったっけ?」という写真は1枚もなくて、いつ撮った写真かを僕はすべて覚えているんです。そういう写真をこれからも撮っていきたいと強く思っています。
インタビュー写真:酒井貴弘(@sakaitakahiro_)
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嵐田大志
本業の傍ら、東京をベースにフォトグラファーとして活動。LightroomやVSCOを活用し、フィルム風の空気感を表現。家族や身近なものを中心にしつつ、頻繁に旅する海外でのスナップを撮り続けている。