今にも動き出しそうな生命力を感じる動物彫刻を生み出す、彫刻家のはしもとみおさん。一緒に暮らす愛犬や、依頼主にとって大切な動物たちの姿を木彫りとして形にしています。
「動物の生き生きとした姿を形に残すこと」…それはきっと写真にも通じることがあるはず。そこで今回は、はしもとみおさんと愛犬との日々や、彫刻や形に残すことへの想いをお聞きしました。
愛犬と過ごすはしもとさんを撮影いただくのは、親交のあるフォトグラファー ウラタタカヒデさん。お二人に Z fcとNIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VRをお渡しし、日常を記録していただきました。
はじめまして、はしもとみおです。
動物たちのそのままの姿形を木彫りにする肖像彫刻家として活動しています。
隣にいるのが愛犬の月くん。
三重県北部の古い民家にアトリエを構え、月くんと一緒に自然豊かな場所で暮らしています。
朝は月くんと散歩をして、午前中は光が入るアトリエで大きい彫刻を彫ったり、空いた時間に庭仕事をしたり、花をアトリエに飾ったり。音楽を聴くのも演奏するのも好きでアトリエでレコードを聴いたり、バイオリンを弾いたりすることも日々の楽しみになっています。
そんな生活の中で、月くんはアトリエの癒やし担当であり、時間を忘れて彫刻を作ってしまいがちな私に時間を知らせて散歩に連れ出してくれる、“タイムキーパー”であり“健康キーパー”でもあります。
いつもそばにいてくれる月くんとの日々
実は、今一緒に暮らしている月くんは二代目。初代月くんとの出会いは2003年、大学2年生の頃です。
木彫りのために材木屋さんを訪れたところ、そこで黒柴を飼っていました。「かわいいですね」と言うと「隣にたくさんいるよ〜。見てきたら〜」と。お隣の犬舎を見に行くと、端っこでキュンキュンと鳴いている生後6か月の月くんがいたんです。人見知りで引っ込み思案なところがあり、「私に似ているなあ」と思いその日のうちに連れて帰りました。
月くんと出会う前のある出来事がきっかけで、今自分ができる“一番よく観察できるもの”を作ろうと思い、月くんを観察しては彫刻を作る日々がはじまります。
三重県の古民家に移住したのは、それから10年後。展覧会でギャラリーをしているご夫婦と出会い、空いている築80年ほどの素敵なご実家を貸していただけることになったんです。
三重に来てからは、とにかく散歩が楽しくなりました。空気が美味しく、月くんが楽しんでいるのもわかり、私も散歩をしている時間がとても好きでした。
月くんはすでに10歳、人で言う60代のとき。自然豊かな場所に移り住んで、月くんが一番喜んでいたと思います。
4年後、月くんは天国に旅立ちました。今もこの彫刻を見ると穏やかな月くんに会えているような感覚になり、朝アトリエで「おはよう」と声をかけています。
それから間もなくして、二代目月くんがわが家にやってきました。
「いい出会い」があればいいなと思っていたところ、隣町の犬舎で生まれたワンちゃんを紹介していただけることになったんです。茶柴・ごま柴・黒柴の兄弟の中から初代と同じ黒柴をもらってきて、「月」という名前を受け継ぎました。
生後2か月でとても小さくて私は犬の育児休暇をとり、ずっと月くんのことを見てきましたが、落ち着いておとなしい初代に対して二代目はやんちゃ。お客さんがきたら喜んで呼びに行きます。性格がまったく違っていておもしろいです。
今では仕事中もずっと近くに月くんはいて、休憩中にコミュニケーションをとりながら写真を撮ったり、1日中ほぼ一緒に過ごしています。
触られることが大好きで、指をなめてきたり、かわいいです。
ただ、アトリエに来るときは月くんにとっても「私と一緒に仕事場に来た」という感覚のようで、家のリビングにいるときとは違う印象。教えたわけでもないのですが、彫刻を噛んだり道具をくわえることは不思議となく、私が“大切にしていること”をわかってくれているような気がします。
私にとって月くんは大事な家族であり、最も身近な“観察対象”でもあります。それは初代の頃から変わっていません。
上の写真はタッチしている姿を彫刻にしたものですが、教えたものではなく、食事前に手にタッチしてきたことがはじめての“タッチ”でした。自然に生まれたポーズがとても愛らしくて、それを彫刻にしたんです。
出来上がった彫刻を見た月くんは、すごくうれしそうに隣で寝たり、同じポーズをしたり、仲間が増えて喜んでいるように見えました。物心つく頃から彫刻のある環境にいたせいか、自然に彫刻と関わり過ごしているのもまたおもしろいなぁと感じています。
今ではさらに仲間が増え、お昼寝したり一緒に過ごしています。
動物彫刻家としての原点は、一緒に過ごした犬や猫たち
私が彫刻家になった経緯についても少しお話ししたいと思います。
元々は、獣医になろうと思っていました。
小学生の頃に実家で飼っていた愛犬のゴンちゃん。学校から帰ってくるのを待ってくれて、公園を一緒に走り、ボールを投げては取ってくる。そして、疲れて私の腕の中ですやすや眠る。
そんなゴンちゃんは病気になり、すぐに亡くなってしまいました。子供の頃の一番悲しい出来事で、それから獣医になろうと決めて理科の勉強をがんばったのを覚えています。
その後、阪神大震災を経験し、あまり先のことを考えられなくなりました。
明日、私はいないかもしれない。
今日少し場所がずれていたら私はいなかったかもしれない。
命は失った後には、取り戻せない。
…できることの何もない自分と向き合う日々となりました。
数年たち、「獣医になろうか」「子供の頃からやっていた音楽の道に進もうか」と悩んでいた頃、母親が猫をもらってきました。
名前はトムくん。寝ていても、邪魔をしてきても、怒っていても、何をしていても猫はかわいい。休みの日に猫を1日中なでていると、「ああ、私はこの子の姿形が大好きなんだ」と気がついたんです。
言葉を話せない、姿も形も違う彼らを愛おしく思いながら過ごす日々は、この世界がくれた一番の宝物の時間。「彼らと過ごすこの瞬間が永遠になればいいのに」と願いました。
動物たちに不思議な力で引っ張られるように、私は「彼らを形に残す仕事がしたい」と思い美術の世界に飛びこんだんです。
彫刻で重要な「動物の形を丸ごと三次元で見る目」
動物を形に残すことの大きな転機になったのも、愛猫トムくんの存在でした。
美大2年生のときに「好きなものを彫刻にする」という課題があり、実家のトムくんを彫ることにしたんです。しかし、母親に連絡するとトムくんが家出していなくなったことを知りました。8年も一緒に暮らしていたのに「ただ眺めているだけだった」と後悔したのを覚えています。
「眺める」と「見る」ことは大きく違います。作るためには眺めるのではなく「しっかりと対象を丸ごととらえること」が大切だと気づき、「その子を三次元ではっきりと思い出したい」という感覚で一番トムくんらしい“怒り出す前の瞬間”を作り上げました。
このことが、もっと動物を観察する目で見ようというきっかけになりました。
それから間もなくして初代月くんと出会い、彫刻家として仕事をはじめ、自分や誰かにとっての大切な動物たちの彫刻を作り続けています。
依頼を受けた動物の彫刻を作る際に、観察してデッサンしたもの。
「形に残すこと」それは彫刻も写真も根底は同じ
大切な動物の姿形を残すこと。絵を描いたり彫刻を作ったりしない飼い主さんにとって、写真を撮ることはとても有意義で、その子を思い出す大切なツールだと思います。
私は彫刻で残せるので、彫刻を写真に残すことのほうが多いです。
完成した彫刻を写真に収めるとき、その彫刻が気持ちよさそうにしている姿を残したいので、自然光が降り注ぐ場所で撮影するようにしています。自然光が一番彫刻をきれいに見せられるのは長年の経験で感じていることです。また、木は外で生まれて育っているものなので、自然の中で撮ると木だった頃の記憶がよみがえるように生き生きと感じられます。
今はSNSがあり、写真をリアルタイムで残すこともできるので、「写真」は現代を象徴するツールだと改めて思います。ちなみに、月くんは彫刻と絡んでいることが多いので、その写真もSNSにアップすることが多いです。
彫刻以外では絵として残すこともあります。これは月くんが庭で過ごす様子。彫刻よりも風景を鮮やかに記録できるため、景色そのものを残したいときによく描きます。
風景を鮮やかに記録できるのは、写真もそうです。
写真は自分がしんどいときなどに見返すことがあるのですが、風景と一緒に写した月くんの自然体でありのままの姿を見ると、「どういう日々を一緒に過ごしていたか」「これを撮っている自分がどんな気持ちだったか」なども思い出されます。特に彫刻は体力を要する仕事なので、体が疲れたときに月くんの写真を見るとほっこりして、力がもらえるんです。
また、私は人を彫刻にすることはないので、人を振り返るときは写真です。若くして亡くなった親友、父の写真はアトリエの2階に飾り、ふとしたときに写真を見ると記憶がよみがえるときがあります。
彫刻や絵画は写真がなかった時代に生まれたもので、手段が彫刻でも写真でも「現在を残したい」「今が美しい」と思う人の心は何も変わらないと思います。
今回、改めて写真に向き合ってみると、自分のいいと思う瞬間や美しいと思うもの、自分らしさを切り出すことが大事だと感じました。
特にカメラでファインダーをのぞくと、その瞬間をより“大切に撮れる”と思います。月くんのナチュラルな表情を撮るためにズームで寄ったり、「この瞬間・この画角がいい」と意図を持ってシャッターを切ると、その写真を見返したときに思い出される記憶や情報量は変わってきます。先ほどお話しした「絵を描くとき」は何かに感動している“心情的な目”でその光景を見ているのですが、「カメラで写真を撮るとき」「写真を見返したとき」も同じような感覚になりました。
自分のいいと思う瞬間や美しいと思うもの、自分らしさを切り出すことは、彫刻にも通じることです。
目の前の命の美しさを形に残したい。現代の暮らしの中でほんの些細な瞬間に感じる動物たちと暮らす愛しさのようなものを作っていけたらと思います。
また、四季を感じられる日本で暮らす中で、人が原始的に美しいと感じる瞬間がたくさんあり、日本人ならではの情緒で作られる彫刻の魅力を、動物に限らず大きい意味で表現していきたいと考えています。
Afterword ~カメラで写真を撮ること~
普段、写真を撮るのはスマホがメインで、カメラを使うのは完成した彫刻を撮るときや出張のときなど。今回は Z fcで日常を記録したのですが、「目に見えている世界」にとても近いカメラだと思いました。
ノスタルジックやアンティークなものが好きなので、Z fcは好みのタイプ。ISO感度で明るさを調整するのですが、ダイヤルですぐ変えられるのがすごく使いやすかったです。
写りに関しては、暗いアトリエに光の差しこむ感じが、見たそのままの雰囲気で写し出されていて、無理に映えさせないところが本当にいいと思いました。画材を持っていけない旅先などで、予測していない出会いを記録するためにも持っていきたいカメラです。
私は目のように使いたいので、カメラはファインダーをのぞくほうが好きなのですが、自然な写りも相まって、ずっと撮っていけば“自分の目”のように使っていけるのではと感じました。
動物を撮るときは目線を合わせることが大切です。
彫刻でも写真でも大事なのは自分の目で観察することです。私はこれからも、特に飾り立てることなく、月くんとの暮らしの中でさりげない瞬間を残していきたいと思います。
同行撮影:ウラタタカヒデ(@ura_suzurokuphoto)
※機材名の記載がない写真は、ウラタさんが Z fc+NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VRで撮影。
Supported by L&MARK
Creator
はしもとみお
彫刻家。三重県北部の古い民家にアトリエを構え、動物たちのそのままの姿形を木彫りにする、肖像彫刻家。各地の美術館で、木彫りの動物たちに間近で触れ合える展覧会を開催する他、動物たちの肖像制作、フィギュアやオブジェの原型制作や動物たちのイラストなども手がける。