ユニクロで白Tシャツを買って泣く話や、写真家の父親にヌードを撮ってもらう話など、独特な視点で日常を綴った「note」でのエッセイが注目を集める、作家の島田彩さん(@c_chan1110)。今回は島田さんとお父様にそれぞれ Z 5を持っていただき、とある日の出来事を綴ったフォトエッセイをお届けします。
島田彩さんのnoteでは特別版を公開!
今回の記事は、島田彩さんのnoteでも公開中です。記事の最後には、お父様の作品ギャラリーが掲載されています。ぜひご覧ください!
note「父とのデータが遺影撮影会になった話」
「僕が死んだら、遺影はこれにして」
ある日、父が言った。指差す先には、私が10年ほど前に登録してあげた、Facebookのアイコン。お気に入りの一枚らしかった。
・・・
父、大阪生まれの70歳。職業、「警備員」。けれどそれは、父のもうひとつの姿。その正体は、1日100万円以上を稼ぐ、めちゃくちゃすごい写真家なのだ。……全盛期はね。
写真学校を卒業後、写真家を目指す人なら誰もが知る有名写真家に弟子入り。まもなく独立し、大手百貨店やハイブランドの広告も手掛ける、超売れっ子写真家になった。しかし人生、何が起きるかわからない。目を患い、耳を患い、仕事を失うほどのそれは、父の「心の健康」にも大きく響き……その他諸々の波乱万丈を経て、彼は今、警備員をしている。
※詳しくは、note「小学1年生ぶりに、父の前で真っ裸になった話」を参照。
そんな父とは、割とよく連絡を取る。内容はだいたい2種類。「また携帯おかしくなった!」というものと、「また死ぬ夢見た!」というもの(縁起でもないので、いつも叱る)。でも正直なところ、私も何度か、父が死ぬ夢を見たことがある。
そして、あえてこの表現をすると、実際父とは、「死」について、カジュアルに話し合える関係性で。たとえば、「何かしたいことはないか」とか。「お葬式はどんなのがいいか」とか。話していると、生きる上で大切にしたいことが見える。言い換えれば、生きるために「死」について話してる。
「どんな服、着たい?」
「白シャツと、ジーパンやな」
「お棺、何を入れてほしい?」
「花はいらんわ。写真いっぱい入れて」
「あ、父さんが撮ってた花の写真にする?」
「それがええわ! 個展やな、かっこええな」
・・・
「僕が死んだら、遺影はこれにして。このアイコンの写真にして」
この日は、「また携帯おかしくなった!」のパターンで呼び出された日だった。症状は、「僕のフェイスブック“ス”の画面が真っ白。アイコンもない。どうにかしてくれ」だった。見ると、通信速度が「低速」になってて、ただただ読み込めてないだけだった。あと、“ス” がいらないことも伝えた。「なんで?いろんな人おるから複数形ちゃうの」と聞かれて、答えに困った。でも、久しぶりに表示された画面を見て、「これこれ。このアイコンやんか」と、ニコニコしながら言っていた。
「遺影にFacebookのアイコンは微妙ちゃうかな……」と私。
「なんでよ、気に入ってるねん。これにして」と父。
「この写真は暗いわ。補正したとて、画素数も全然足りひんし」
「いけるやろ!」
「いかれへんよ! どこにおるんよ、遺影に10KBのjpeg使う人」
「しかもあなた、写真家やねんからさ……私が撮ってあげよか?」
「あやちゃんが撮んの?」
「うん。父さんも私の遺影、撮ってよ」
「いらんいらん。あやちゃんはあと100年はいらん」
「わからんで、私やって明日死ぬかもしれへんよ」
「そうやけど……」
「まあ、ポートレートやね。楽しく撮って、いいの選んでさ。いざとなったら遺影にも使えるねー、くらいの感じで。もしかしたら、アイコン変えたくなるくらいの、めっちゃいい写真が撮れるかもしれへんやん」
「それはいいな。そうしよ!」
この誘い、実は「父がカメラを構えるところを見たい」というのもあった。「撮るプロ」から「守るプロ」になった今、それでもやっぱり、父はカメラのそばにいるときが一番、生き生きしてた。元気で生きるには、生き生きする瞬間を過ごすのがいい。
早速、「どこで撮る? 友達のスタジオ借りるか?」と作戦会議がはじまる。
「スタジオもいいけど、 外行こうよ。父さんがよくロケした場所とか、近くにない?」
「あるけど、もう街が変わってる」
「それもいいやん、連れてって。ロケ地じゃなくても、よく行った店とか、思い出の場所とか」
「……せやな、日にち決めて。その日は警備員休む。一日あける」
「やった!デートやデート!」
「遺影撮影会やろ?」
「えー、デートって言ってもいいやんか」
こうして、父との久しぶりのデートは、遺影撮影会をすることになった。
・・・
朝10時。撮影当日。
待ち合わせ場所は、父が住む近所のカフェ。写真が上手な友人も召喚。今日のことを書きたくて、撮り合う様子を撮ってもらうことにした。また、このご時世なので、車を使いつつ、しかしあまり遠出せず、人の少ない思い出エリアを回ることにした。
用意したカメラを手渡し、早速、近くのビルで試し撮り。「大阪農林会館」というところで、よく撮影に使った場所らしい。
……と、カッコつけてみたものの、こういう系で撮られるの、めちゃくちゃ照れる。ということで、踊る。
「あやちゃん、踊ったらあかん!自然体がええって!!」
父からポーズ指導が入る。私、これが自然体なんだけどな。仕方がないので、撮る側にまわってみる。
「あやちゃん、片手はあかんて!あと近すぎる!!」
今度は撮影指導が入る。私、これが最適距離なんだけどな。仕方がないので、離れる。
「あやちゃん、持ち方危ない!左手はレンズを下から支える!!」
「えー、でもいい感じよ。見て」
「……ええな。ちょっと交代して。僕もそのアングルで撮る」
「ほら〜!いいねんやんか〜〜!」
……あれ、この感じ。なんか前にもあった。中学生の頃、父の仕事を見学したときのことがフラッシュバックする。
モデルさんを撮る父さん。「私もやりたい!」「あかんあかん!」
ヘアメイクさんが言う。「いいじゃない、させてみたら?」
ずっしりと、思った以上に重たいカメラ。窓をのぞくと、見てるものはさっきと同じなのに、視界が世界になる。ピントはブレブレ、でも子供相手だからか、モデルさんもはしゃいでくれて……「お!このアングルええやんか!よし、もうワンカットいこう!」みんなに声を掛ける父さん。「あやちゃん、すごいねー!」私に拍手してくれるヘアメイクさん。
みんなを見ると、ニコニコしてる。
うれしい。私も、ニコニコしてる。
それからだんだん、「あやちゃんなら、どうする?」と、聞いてくれるようになったんだっけ。それがひとつの自信になって、写真っていいなって、思うようになったんだっけ。
・・・
練習がてら、いろんな場所で撮ってると、あっという間にお昼になった。
「おなか減った、飯にしよ。食べたいもの言って」
「おうどん」
「うどんでええの?」
「昔、お墓参りの帰りに行ってた、いろんな具が入ってるおうどんが食べたい」
「あー、『谷九ふる里』の『ホームランうどん』やな」
「ここ、やっぱええ店やなあ。どうやって見つけたん?」
「サンスタジオっていう撮影スタジオの近くやねんけど、20代の頃からよく使ってて……ついでに見てこか。ほんで、お墓参りもしとこか」
「うん!」
いつも食べきれなかった思い出があるのに、「ホームランうどん」は、ぺろりと一瞬でなくなった。
スタジオを懐かしんだあと、お墓へ移動。実は、しばらく父方のお墓参りに行けてなかった私。アルミバケツに水を溜めてると、いろんな記憶がよみがえる。
柄杓はプラスチックよりピカピカのが好きだったこと。半分の量の水が入ったバケツしか持てなかったこと。バケツに沈むたわしが生き物みたいに見えたこと。弟がふざけて、父がよくびしょ濡れになってたこと。この気持ちを、写真におさめたくなった。
「父さんがもし死んだら、ここに入るん?」
「入るよ」
「私は?」
「それはわからんよ。結婚したら、その家のお墓かもしれへんから」
「結婚せんかったら? ここに入る?」
「そうちゃう?」
「ふーん……」
からっぽのバケツを返しにいく、父の後ろ姿を見ていると、なんか急に、不思議な気持ちになってきた。
・・・
車に戻って、エンジンをかける。次の行き先は決まってないけど、とりあえず車を走らせる。
「……あ、この辺覚えてる」
「僕の実家に行く道やな」
「……行きたいな」
「ないって。もう、ない」
「いいねん、お願い。前まで行ってみたい!」
「……次の角を右。で、すぐ左」
懐かしい、けれどすっかり様変わりした場所に着いた。
「ちょっと停めて、降りていい?」
「何もないで、駐車場やで」
「いいねん、降りたいねん」
父の実家は、祖母が亡くなったタイミングで売りに出した。そして、今は駐車場になっていた。ほんとに、よく見る感じの駐車場。降りて、玄関があった位置に立ってみると、鮮明におばあちゃんちの空間が浮かんでくる。
「父さん父さん、ここらへんが玄関やったよな?」
「そうやな」
「中に入っててよ。私、ドア開けるから。ピンポーン」
「……はいはい。あやちゃん。よく来たね」
「へへ、お邪魔しまーす」
「入って左……ここにいろんな色の毛糸がいっぱいあった気がする」
「あったな。おかん、編み物やってたからな」
「ほんでこっちに、ピアノあった気がする」
「そうそう。よく覚えてるなあ」
「ここはリビング。ここにコタツ。チラシでできた、みかんの屑入れ。で、あっちが台所で……あれ、おばあちゃんって、料理してたっけ?」
「あやちゃん来る頃は、出前が多かったかなあ。僕がちっちゃいときは……」
父が、ゴホッゴホッと、咳き込んだ。
「父さん、ここで撮るの、どうかな」
「ここで?」
「うん」
「駐車場やで?」
「うん、いいねん。ここで父さん、生まれたから」
生まれた場所で、死ぬときの写真を撮る。
そしたら、まだまだ、生きれそう。
・・・
まずは私が、背景を選ぶ。このあたりは、おばあちゃんがいつも、編み物していたところ。
今度は父さんが、背景を選ぶ。ここはちょうど、台所があったところ。
「僕もここで撮って」と父。
・・・
ふたりで話しながら、それぞれ「いいな」と思うものを選んでみる。
「大福みたいやな」
「え、ひどくない?笑」
「でもこれ、私っぽくないんよなあ、気取りすぎてる。これくらいがいい」
「これ最初に試しで撮ったやつやんか」
「うん、でもこれくらいがいい」
父が選んだ一枚は、これ。
「父さんっぽい。ってかFacebookの高画質版やん」
「せや」
「……あやちゃんはどう思う?」
「父さんの写真?」
「うん。あやちゃんやったら、どれ選ぶ?」
「えー、これかな」
「なんやこれ!」
「え、耳から一本だけ毛生えてたやつ」
「あかんわそんなん!もう10KBのやつにする」
「うそうそ、ごめんごめん。そうやなあ、これかな」
「ふうん。………じゃあこれにするわ」
「え、さっきのは?」
「ううん、これにする。僕が死んだら、これにして」
・・・
「僕な、いつも仕事から帰ってきて、くたくたでベッドに倒れ込むねん。このまま寝て、そのまま起きひんくなって、誰にも気づかれんかったらどうしよ……って、よく思うねん」
「そういう話はあるもんなあ……父さんとこのお向かいさんたちに、変わったことあったらすぐ連絡してくださいって、言ってあるよ」
朝に待ち合わせたカフェへ戻り、プリントした写真を見ながら喋る。
「それやったら、ここのお店にも言うとこ。週3で来てるから」
「いや、週3……も遅いなあ」
「ほんなら毎日LINEするわ、寝る前におやすみとか、起きたらおはようとか」
「そうね、うん。それがいい。毎日生存確認。明日からやろう」
「明日はいらんやん、今日会って元気ってわかってるやん」
「いいの。練習練習。『あ』とかでもいいから」
「はいはいわかった。スタンプ送るわ」
もう撮られてないと思って、完全に気を抜いている父。うん。生き生きしてるね。
「今日は疲れたな」
「うん、私も疲れた」
「でもいいの撮れたな」
「うん、使わないのが一番いいけどね」
別れ際に、父と握手する。
「父さん、起きたらLINE送ってね。スタンプだけでもいいからね」
「わかったわかった!あやちゃんも気をつけて帰りや。前見て歩くんやで」
「わかったわかった!笑」
そうして、父は手を振りながら、帰っていった。
途中、5回も振り返って、手を振っていた。
・・・
朝。
起きてLINEを見ると、ちゃんと父から、届いてた。
「爆睡します」……??笑
「爆睡しました」の間違いなのか。はたまた朝まで起きてて、今から「爆睡します」なのか。
後者なら、一刻も早く休んでいただきたい。まだまだ、元気でいてもらいたい。
そして、まだまだ、いっしょに撮りたい。
やっぱり写真は、すごくいい。
あとがき
父をカメラでちゃんと撮るのは、今回がはじめてでした。いいカメラで撮る父は、いいしわがいっぱい写っていて。父のしわたちは、人生の山あり谷ありを表してるみたいでした。
ちなみに、父がはじめて買ったカメラはNikonの「ニコマート」。高校卒業後、貯めてたお小遣いで買ったんだそう。その後、デジタルになるまではFシリーズを愛用したらしく、今回渡したカメラもすぐに使いこなしてました。さすがだなと思いつつも、私も触ってみるとすごく使いやすかったです。
私は、昔は父のことがすごく苦手でした。父を思い出すとき、その顔はいつも、怒っていたりしかめっ面だったり。でも今日、カメラを通して見た父の顔は、すごく優しかったです。今、父を思い出すと、ちょっと泣きそうな顔で、笑ってるところが浮かびます。
写真を撮ることで、今の新しい父が焼き付けられた感じ。文章に残すことで、昔の記憶が教訓になる感じ。撮ることや書くことは、「記憶の編集」だと思います。いろんなことがあるけれど、父も私も創作の気持ちがある限り、仲良く生きていけると思います。
同行撮影:大越はじめ
撮影協力:大阪農林会館
※今回は許可を得て撮影しております(商業撮影では事前に許可が必要です)。
※施設や他のご利用客の迷惑になるような撮影(三脚やフラッシュなど)はご遠慮ください。
Supported by L&MARK
Essayist
島田彩
エッセイを書く作家活動を中心に、企画やデザイン、イベントのMCなど。2010年から「HELLOlife」で教育・就活分野のソーシャルデザインに取り組んだのち、2020年6月に独立。大阪生まれ、奈良暮らし。気まぐれで借りた家が広すぎて、寝室以外を開放中。