みなさん、はじめまして! 葵(@aoii6327)です。私は高校でフィルムカメラにはまり、今年3月に卒業するまで高校での日々を記録してきました。
卒業という節目を迎え、新しい生活へと踏み出すこの機会に、「大切な友達との日々を、写真に残すこと」について、実体験とともに私なりの想いをお伝えしたいと思います。きっと、これからの人生で幾度となく思い出す、友達と過ごした日々のこと。みなさんも、大切な友達との記憶を思い出しながらご覧いただけると幸いです!
学校生活を撮りはじめた、高校1年の冬
高校は、中学のときより自由で価値観の近い友達に囲まれた環境で、毎日が遥かに楽しく感じました。学校の行事はもちろん、定期テストまでもみんなで団結して全力で取り組むクラス。とても仲がよく、1年の終わりになると「クラス替えをしたくないね」とよくみんなで言っていました。私自身、こんなに楽しいクラスははじめてで、本当に毎日が楽しくて仕方なかったです。
このクラスみんなで受ける授業。
友達と食べるお昼ご飯の時間。
放課後に残って勉強を教え合うテスト期間。
些細で何気ない出来事だけれど、なんだかどうしようもなくおかしくて、友達とおなかを抱えて笑ったあの時間。
どの瞬間を切り取っても、楽しくてきらきらと輝いていました。
学校という少し不自由で窮屈な箱の中で送る日々は、眩しくて一瞬にして消えてしまいそうで、それがなんだかとても寂しく感じて…。忘れないように、どうにかして何かに閉じ込めておきたいと思うようになりました。フィルムカメラの存在を知ったのも、ちょうどその頃です。
たまたまTwitterで見たフィルム写真に心奪われ、中古通販店で見つけたNikon FEをほとんど勢いで購入。カメラの知識はゼロだったので、使い方を模索しながら友達の姿や教室などの風景を撮っていました。
はじめの頃はカメラを向けると友達は少し照れた様子でピースをしてくれて、それが徐々にカメラを向けられるのに慣れたのか、特に気にせずありのままの姿を撮らせてくれるようになりました。
スマホではなく、フィルムカメラで撮ることに夢中になっていった理由は、フィルム特有の写りに魅了されたからです。スマホとはまったく異なる光のとらえ方とあたたかい風合い。その場の雰囲気やそのときの私の感情を乗せられるのは、フィルムしかないと強く感じました。
そして、学校生活を写真に残そうと思ったきっかけは、何よりクラスメートと過ごす楽しすぎる毎日がとっても愛おしく、大人になっても忘れたくない“宝物”なんだと思うようになったからです。
そう思わせてくれたのは、言うまでもなく大切な友達。それからは、“未来の自分と友達”のために写真を撮るようになりました。
日々深まる、友達との思い出、写真への思い入れ
2年になり、フィルムカメラで写真を撮ることの楽しさにさらにはまった私は、カメラを肌身離さず持つように。
登下校や休み時間、部活の終了後…。1日の中のさまざまな瞬間をいくつも収めていく中で、たとえぶれていても露出を失敗していたとしても、それすらも愛おしいと思うようになったんです。
不完全な写真に見えようが、
こめられた想いは変わらずそこにある。
私の撮る写真は、
技術やカメラの深い知識なんか関係ない。
大事なのは、大切にしたいと思うその瞬間を、
いつか届けたい誰かに届けること。
私の中で、“私が写真を撮る意味”がきちんと言葉に現れた瞬間でした。
体育祭や文化祭などの行事、ふざけて遊んでいる休み時間やお昼休み、掃除の時間や光がきれいに差しこんでいた放課後の教室。
どんなに些細なことでも「忘れたくない」「残したい」と思った瞬間に迷わずシャッターを切りました。高校生活の折り返しの時期を迎えて、いつまでも続くかのように思える日常が有限であることを意識しはじめたからです。
進路についても、いよいよ本格的に向き合っていく時間が増えてきます。
- 今の自分がやりたいことは、将来の自分もやりたいと思うことだろうか?
- 20歳になる頃の自分は、いったい何をしているだろうか?
- 大人になった自分は、今みたいに毎日を楽しく生きているだろうか?
考えれば考えるほどわからなくなり、大きな不安を感じることも多々ありました。ですが、将来の自分が何を思ってどんなふうに生きているのかはわからないし、不安だけれど、そんな将来の自分に向けてやれることは、「今を残して届けること」だと考えました。
大好きな友達に囲まれて過ごす
輝かしいこの日々を思い出して、
どんなときも明るく前向きな気持ちで、
楽しんで“今”を生きてほしい。
そういった想いが、私の写真に加わるようになったんです。
学校生活の終わりが近づき感じる、自分と写真の変化
3年になり、写真を撮りはじめた1年のときと比べると、私の写真には大きな変化がありました。それは、圧倒的に友達一人ひとりがメインの写真が増えたこと。それぞれの性格やいつものノリをそのまま写したいという想いが強くなってきました。
1ミリも飾らない
ありのままの私たちの日常を、
ありのままの私たちの関係性を、
残り少ない日々で写真に残せたらな。
まだ離れ離れになりたくない。
時が止まってこのままずっと
みんなと過ごす楽しい日々が続けばいいのに。
そう思いながらシャッターを切るようになりました。
言葉にするのは少し恥ずかしいけれど、写真を見返してみると、私は本当に友達が大好きなんだな…と。3年になって撮った写真からは特に、溢れんばかりの想いが伝わってくるような気がします。
まだ大人にもなっていないし、卒業もしていないけれど、3年間の高校生活のさまざまな楽しい思い出が写真を見るとよみがえってきました。その写真を撮っていた当時の自分の「将来の自分へ向けた想い」は、もうすでに今の私にきちんと届いています。
卒業して離れ離れになる友達にも、
いつか届いたらいいなあ。
私にしか撮ることのできない、私と大好きな友達との終わりを迎えるのが寂しくて仕方のない日々を、私は最後の最後まで写真に残していきたいと強く思いました。
私たちのこれから
2020年3月14日、私たちは高校を卒業しました。
新型コロナウイルスの影響で卒業生と先生たちとの小規模な卒業式でしたが、
制服を身にまとった姿で、
1年間を過ごしてきた教室で、
またみんなに会うことができたのが本当にうれしかったです。
卒業式を終えて、3年間過ごした大好きな学校に、みんなで「さよなら」を言って最後の下校をしました。
なかなか卒業を実感できず…
「明日からもう学校に行かないんだって。変な感じ」
「このかわいくない制服を着るのも今日で最後だったね」
「もう、会おうとしなきゃみんなに会うことはできないんだね」
「終わっちゃったね、高校生」
…と、何かを失ってしまったようなふわふわした不思議な気持ちで。
それから私が卒業を実感したのは、写真展を見にきてくれたある友達の「懐かしいね。私たち、もう戻れないんだね。楽しかったね〜…」という、ふとした言葉がきっかけでした。
壁一面に貼られた3年間の写真を一緒に眺めながらそれを聞き、「みんなで制服を着て学校で過ごした日々にはもう戻れないんだ。そんな日々はもうこの先ないんだ」と強く実感したんです。
振り返ると本当にあっという間の3年間。ついこの間入学したかのように錯覚するほど、濃くて充実していた日々でした。それらの記憶のかけらが、目の前に写真という形で残されているのを見ると「写真に残してきてよかったなあ」と心の底から感じます。
このとき、これからもずっと、
大好きで大切なものたちを
写真という形に残していこう。
形になった思い出をみんなで見て振り返った経験をして、その楽しさと、写真というものの持つ力をあらためて知りました。
学校という小さな世界から飛び立ち、
それぞれの道へ進んでいく私たちを
いつまでもつないでくれるもの。
それが3年間で撮り続けてきた写真だと思うんです。
会う機会が急激に減り、
楽しかったあの頃にはもう戻れない。
そう考えると寂しいけれど、
その記憶は愛おしい形で
宝物として残っている。
だから、いつかみんなで会う日まで、大人になって送る日々だって、私は幸せな気持ちでがんばれる。またみんなで会った日には、いつもと同じようにシャッターを切っているだろうと思います。
私が残してきた写真が、
みんなにとっても宝物で、
時に支えてくれるものであること。
そう願いながら、私はこの先もカメラと一緒に、“変わらぬかけがえのない日々”を過ごしていこうと思います。
Supported by L&MARK
FE
AI Nikkor 35mm f/2.8S
葵
高校1年生でフィルムカメラをはじめ、SNSを中心に写真を発表し、写真展など積極的に活動。「高校生フォトグラファー」として注目を集め、三ツ矢サイダーとのタイアップ企画をはじめとする広告撮影など、幅広く活躍している。